時の羅針盤・225
時の羅針盤・225
人間の力を信じる
高橋佳子
遺伝と環境が左右する人間の能力
揺れ動く世界を生き抜く力とは、いかなるものでしょうか。
様々なものが脳裏をよぎっても、結局のところ、最後にテーマになるのは、人間の能力、人間の力のことではないでしょうか。
では、その人間の能力を決定するものは何なのでしょうか。
近年の科学的な研究によれば、人間の能力、その知力や才能を決定するのは、大半が遺伝と環境であると言われています。一説によれば、その90パーセントが、この2つによって決まってしまうというのです。
遺伝は、肉体の遺伝子によるものです。小中高等学校、大学での学力も、あるいは絵を描いたり、歌ったり、踊ったりする才能やスポーツの才能も、その大半が遺伝子次第で決まってしまう。そればかりか、対人的なコミュニケーション力も、その人らしさというパーソナリティーも、遺伝が関わらないものはないと言っても過言ではありません。
そして、そういう形で与えられている力を引き出すのに、環境ほど大きな力を発揮するものはないと考えられているのです。
たとえば、子どもたちの学力は、その子が身を置いている家庭の状況が大きな影響を与えることが知られています。愛情に満たされ、経済的にも安定した家庭の子どもたちの方が学力を引き出すことができる。温かく、安心できる環境が与えられるなら、子どもたちが集中して勉強に取り組むことができることは容易に想像がつきます。
つまり、それだけ、環境によって、私たち人間の能力は引き出され方が変わってしまうということです。
とすれば、どうでしょう。私たち人間の能力とは、ある意味で、遺伝と環境という、偶然・たまたま与えられるものによって、決定的に左右されてしまうということになるのです。
偶然を超える人間の力がある
どんな遺伝と環境がその人にもたらされるかは、運次第──。
多くを恵まれる人がいる一方で、そうでない人もいる。それは決して、平等なものではありません。むしろ、不平等そのものの現実です。
それを突き詰めて考えれば考えるほど、この世界は残酷な世界だと思うよりほかないかもしれません。それは、ある意味で、否定することができない現実です。これも、私たちの世界が「忍土」(にんど)(*1)──堪え忍ばなければならない場所と呼ばれる所以(ゆえん)の1つでしょう。
でも、少し考えてみれば明らかなように、それは決して、最終的な結論でも結果でもありません。遺伝と環境次第で、全部がマル、全部がバツとはならない──。それは、条件であり、その条件と結果の関係は、固定的でも断定的なものでもないのです。
天分や才能、環境に恵まれた人が必ずしも成功せず、またときに、めざましい現実を生み出せないのはどうしてでしょうか。
逆に、特別な天分や才能、望ましい環境に恵まれなくても、人生を輝くように生きている人がいるのはなぜなのでしょうか。
それは、私たちの外側から与えられる、決定的に見える条件を受けとめて、そこから最善の道を開いてゆく力が私たちの内側にあるということなのです。
その力とは、知力や才能を使う魂の力、環境を条件として受けとめ、人生の発射台にできる魂の力です。
そして、それは、どれほど不平等な世界にあっても、誰にも例外なく等しく与えられているものなのです。
魂の力を信じる
本誌8月号「時の羅針盤(らしんばん)」の最後の節に書かせていただいたことを思い出してください。
才能や力量の不足、また持たざることを嘆く前に、自らの持てる力に集中すること──。
私たち人間にもたらされる遺伝と環境の条件に厳しい違いがあっても、実は、私たちは与えられた条件を十全に生かせずにいることがほとんどです。
多くの場合、私たちは、新たな人生に挑戦し、それを輝かせ、そこに託された自らのミッションを果たせるだけの条件を与えられているのです。そして、その事実を証明する力が、魂には備わっている──。
私たちの魂は、与えられる能力の偶然を超えて、必然の人生を生み出すだけの力を抱いているのです。
2022.11.29
〈編集部註〉
*1 忍土
自分の思い通りになどめったに事は運ばれず、現実は、いつも試練や理不尽さと背中合わせです。この世は天国ではないという事実──。それを私は、「この世は忍土である」と、仏教の言葉を使って表現してきました。「忍土」とは文字通り、心の上に刃(やいば)を乗せて生きる場所、堪え忍ばなければならない場所を指すものです。その忍土に生きることは、つらいこと、堪え難いことを受けとめなければならないということなのです。
(著書『あなたが生まれてきた理由』58ページより引用)