子どもたちとどう関わればいいのでしょうか?
私には、中学生の2人の子どもがいます。最近はこちらから話しかけても、子どもたちからまともな返事が返ってきません。「反抗期」と言えばそうなのでしょうが、家にいるときはスマホでSNSをずっと見ていて、親子らしい会話はほとんどなくなってしまいました。学校にも不登校気味になり、進路や受験のことで悩んでいるようなのですが、そうした話題をしようとすると、「自分の人生だから、勝手にする。ほっといて!」と言われる状態です。いったい、子どもたちとどのように関わってゆけばいいのでしょうか?
48歳男性・会社員
編集部より
ご相談、ありがとうございます。10代のお子さんと「どのように関わってゆけばよいのかわからない」というお悩みは、子どもを持つ親御さんや、10代の若者と関わるはたらきの方であれば、誰もが抱える悩みと言ってよいと思います。ご相談者の方もおっしゃるように、10代は、これからの人生の道すじを決める大切な時期であると同時に、心身の成長とともに親や周囲との関わりが難しくなる時期でもあります。
高橋佳子先生は、著書の中で、子どもたちとどう関わるかということについても書かれています。著書の中から、ご相談に関連する箇所を一部抜き出してご紹介いたします。
子どもたちを魂の存在として受けとめる
高橋佳子先生
『人生で一番知りたかったこと』より一部抜粋・要約
今、子どもたちは、順調に成長してゆくことが非常に困難な時代を迎えています(編集部註:文部科学省発表の令和2年度の調査によれば、小・中学校における不登校児童生徒数は196,127人[前年度181,272人]であり、不登校児童生徒数は8年連続で増加しています)。……また世論調査では、青少年自身による問題点の認識として「忍耐力がない、我慢ができない」「自己中心的である」「自分の感情をうまくコントロールできない」ことを挙げる人たちの割合が増大していると言います。それは、他の世代から見た印象とも一致しているでしょう。あまりに不安定で壊れやすいために、関わることすら困難な印象を与えているのです。
親御さんたちの悩みは尽きません。自分たちの子ども時代にはもっと素直な、そして従順な態度で親に接していたのに、今や子どもたちにどう触れていいのかわからない――。そんな気持ちで、戦々恐々としていると言っても過言ではありません。
私は年に100回ほどの講演・講義で全国を回らせていただいていますが、その中で感じることは、子どもたちの教育に対する人々の関心には特別のものがあるということです。それは、それだけ多くの大人たちが、子どもたちの問題で悩み、困惑していることの証でしょう。
社会自体の歪(ひず)みが存在として弱さを抱えた子どもたちに押し寄せていることは、確かな事実だと思われますが、それにしても、どう関わればよいのでしょうか――。子どもたちに対する万全の原則などないかもしれません。しかし、私たちが忘れてはならないことがあることも事実です。
その原則の1つは、子どもたちを魂の存在として受けとめることだと私は思うのです。
子どもたちは、弱さをたくさん抱え、未熟な部分を多く抱いています。人間の基本である感覚・感情・思考・意志の成長もバランスも未成熟です。彼らは、これから様々な知識を得、多くの経験を重ねてゆかなければならない存在だということです。つまり、私たち大人は、それだけ深い愛情を持って接しなければならないということでしょう。
しかし、子どもたちは、すべてにおいて大人に劣っているわけではありません。むしろ、大人たちより遙かに優れている側面もあります。純粋で感覚が鋭く、一生の道すじを決める強い感受性と決断力を抱いている存在でもあるのです。
ぜひ、こう捉えてみていただきたいのです。子どもたちは、これから、たくさんの知識を吸収し、物事の理解力を育まなければなりません。人と関わることも忍耐することも学ばなければなりません。しかし、同時に彼らはすでに幾度も人生を経験し、多くのことを学んできた存在であると――。つまり、子どもたちの魂は多くの智慧を身につけてきている。ならば、その可能性を信じることができるし、それにとどまらず畏敬の想いさえ抱くことができる。その可能性を信じて、今は人間として成長の途上にある子どもたちを受けとめ、あきらめずに関わることができる……。
それを私たちは、基本的な姿勢としたいと思うのです。信じることが基本だから、否定ではなく厳しく接することができるのです。魂の存在として受けとめるということは、何よりも、その内に限りない可能性が眠っていることを信じるということです。
子どもたちに接することの難しさは、人間として未成熟でありながら、魂として多くの智慧を内在しているという相反する性質に起因するのではないでしょうか。「未熟な子どもたち」という捉え方からは、子どもたちの中にある可能性を脇に置いてしまい、一方的に外から知識を与えて1つの型に押し込めようとする教育が生まれます。けれどもそのやり方が本当の実を結ぶことはありません。外からの知識や指導が必要でも、基本は内側から芽生えてくるということを忘れてはならないのです。
子どもたちの問題に対しては、まず耳を傾けることが大切です。大人としての意見を言う前に、まずよく聴いてみることでしょう。答えを持っているのは、私たちではなく、彼らです。そして道を開くのも、私たち大人ではなく、彼ら子どもたちなのです。ですから、彼ら自身が自らの内に耳を傾けるまで、私たちは傾聴の姿勢を続けなければならないと思います。あくまで彼らが内に秘めている解答を引き出すような関わりこそが大切であるということです。
そして、もう1つ大切にしたいことは、子どもたちは、モデル(模範となる人)を切望しているという事実です。新しい問題とテーマにどう応じたらいいのか。人生という広い地平をどう歩んでいったらいいのか。困難に出会ったときどうするのか。自分の夢や願いをどう追い求めるのか。子どもたちは、その道を指し示す存在を探しているのです。
そのことを私たち大人世代がどう受けとめるかということでしょう。それには私たち大人自身が自らの人生を切実に生きるということが何より必要だと思います。自分の人生に対して、どれほど懸命に生きているのか。未来にどのような希望を抱き、どのようなヴィジョンを描き、それを現実のものとするために、どう努力しているのか。人に対してどのような優しさや絆を示しているのか――。「子どもは親の背中を見て育つ」という言葉は本当です。私たち先に生まれた世代が、人生に対して、世界に対してどう生きているか、その姿、その背中を見て、子どもたちは本当に育ってゆくと思います。人は人の中で学習し続け、人間になり続けるのです。